ぽみのすけblog

うまく話せないから書きます。

エモクナサがイイ

noteはエモいか強いか、どちらかの文章しかない。

詩的で「読み手の感情を揺さぶるのが目的」みたいな文章か、ノウハウや解決方法をわかりやすく説明してくれるような文章が多い。て意味です。

これは良いとか悪いとかではなくて、私の問題なのです。私が今は「淡々としていて薬にも毒にもならない文章(言い方な)が読みたい」と思っているからnoteに投稿されている文章の多くに胸やけしてしまうだけです。

はてなブログは、淡々とした生活者としての日記がたくさんあって心地良いです。

淡々とした生活を読みたい。

3月24日(金)映画→美術館

有給休暇消化中なので平日も休み。

4月からは、今とは別の派遣会社に登録して働く。だから今月中に有給を使い切ってから契約を終わりたい。

 

朝、子どもを保育園に送って一旦帰宅。iPadで育児絵日記を描く。筆も遅いしそもそも趣味の育児アカではなくイラストアカポートフォリオに載せる絵を描くべきなのに何をしているんだ。結局育児絵日記も描ききれないままに家を出る。

この日は1人で日中映画を観て美術館に行き、夜は同じ職場の派遣さんたちとご飯を食べる予定だ。

 

映画館に到着。公開初日の「ロストケア」を観る。

映画『ロストケア』2023年3月24日(金)全国ロードショー

ここ最近は育児だけではなくて介護もアンテナに引っかかる。自分が子どもを育てる立場になって行政のサービスを受けるようになったからなのか、我が子が大人になった後の世の中のことをぼんやり考えるからなのか、最近は社会問題にも興味がわく。

映画の考察については、長いから別のブログに書く。

私は小学生の頃から松山ケンイチさんを「いい俳優さんだな」と思っていたのだけど(生意気な小学生やな)、今回の映画の演技もとても良かった。事件発覚前の優しい介護士だったときの様子と、回想シーンの介護に疲れていく様子、気力が失われていく様子との対比が痛々しい。

デスノートのLもハマり役だったけど、こういうある種達観したような、"常人ならざる人"を演じるとハマるなと感じる(生意気な素人やな)。

長澤まさみさんと対峙するシーンが多くて、横顔のカットが多い。お二人とも鼻筋が通っているから画になる。

音無し・間合いたっぷりの長回しや、介護の壮絶な場面を最後まで見届けられたのは「映画館だったから」だと思う。介護の場面は観ていてつらいものがあったから、アマプラとかで観てたら一時停止しながら観てたと思う。(余談だけど映画の倍速視聴はしない派。行間こそ大事。)

 

劇場の席はガラガラで、年齢層は中高年多め。平日で、テーマが介護だしね。

シリアスなシーンで隣の席と会話する人や、電話で席を立つ人(扉の外に出ればいいのに出ずに喋るから声が普通に聞こえる)がいてオイオイオイオイと言いたくなった。「こういう人たちは、映画のような介護の問題を一人で抱え込まなさそうだなぁ、心配なさそうだなぁ」と思った。

どんな問題にしたって追い込まれるのは、真面目で、周囲からの目を気にしてしまう、問題を内に内に溜め込んでしまう人なのだ。

 

ラストの松山ケンイチさんと柄本明さんの圧巻の演技からエンドロールで涙が止まらず、そのまま映画館を出て美術館へ。

 

愛知県美術館に到着。「こだまする芸術」というコレクション展が面白かった。ひとつの作品の中で反復やエコーするだけでなく、「Aという作品が別の作家に影響を与えBという作品が生まれる」みたいな距離や時間を超えたエコーも広い意味で《こだま》と定義されていた。

今の世の中は所謂"異世界転生もの"が流行っているけど、それも《こだま》なのだろうか。作品に影響を受けて作品で返すから、こだまはこだまだけれども。展示されていた作品のような「受けた影響を自分の中に落とし込んで新たな作品にする」みたいな印象を受けることは今の世の中の作品にはあまりないなぁとぼんやり感じる。《オウム返し》みたいな作品が多いかな。

 

夜の約束の時間まで余裕はあると思っていたけど、思いのほか時間はギリギリだった。

時間が余る想定で、カフェで書き物をできるようにメモ帳とボールペンを持ってきたけど使わなかった。

それだけ充実していたんだろう。「そういえば私、こういう休日の過ごし方好きだったなぁ」と当然思い出した。独身の頃は1人で映画や美術館によく行っていた。

夜の食事もたくさん食べて笑って楽しかった。

 

今後も、たまにはこういう日を作りたい。心が潤う実感がある。

肌ツヤも良くなってるだろうと思いながら寝たが、朝はお酒で顔が浮腫んでいたしなんか微妙だった。

 

楽しかったからたくさん書いた。おわり。

好きな人が好きな本を読む

YouTubeで本谷由希子さんが話していた内容にとても共感しました。

【本谷有希子】人に勧めたら縁を切られそうな本|#木曜日は本曜日 - YouTube

彼女は、好きな作家が本の中で引用している本を読むことが多いらしい。私もその選書スタイルなのです。「自分の好きな人が好きなものは自分も好き」ってやつですね。

 

私は今「文人主義」についての本を読んでるんですが、これは私の好きな人4人が挙げていたので読む以外の選択肢がありませんでした。

特にゆとたわのかりんちゃん、オードリーの若林さんがラジオとエッセイでそれぞれ引用していたときは、「この人も影響受けとるんか」と鳥肌が立ちました。

 

さらに元を辿ると、ゆとたわ(「ゆとりっ娘たちのたわごと」というpodcast)は漫画家のひうらさとるさんが、Voicyで取り上げていたことから聴き始めました。

オードリー若林さんのエッセイは、「ファスト教養」という本で多く引用されていたことがきっかけで手に取り、今は2冊をそれぞれ2回読みました。

ひうらさとるさんとファスト教養の著者 レジーさんも、別の方が紹介されていたから知ったのだけど、キリがないのでもちろん割愛します。

 

こうして好きの数珠繋ぎで自分の興味関心が拡がってきてました。

…これって世界中の人がそうしてますよね、わざわざ書かなくても。あまりに当たり前のことすぎました。

 

ただ、意識していない限り自分の好きな範囲内でしか拡がらないですね。

まぁ敢えて拡げる必要もないか、趣味のことだし。

 

何が言いたいかわからなくなってきました。

  • 本谷さんと選書の仕方が同じで嬉しい
  • 今は何人もの"推し"が推してる本を読んでいる
  • 好きの数珠繋ぎで、自分の興味関心が拡がってる

てことでした。

義実家との距離感をお金でいい感じにしようと思う

夫の実家に泊まりにきました。私の立ち位置がわからないでいます。

 

夫と結婚してから、新幹線で移動するような距離に住んでいたのもあり会うのは年に一回、お正月くらい。当時は完全に「お客さん」でした。

それが一年くらい前に、私たちは義理の実家と車で1時間ほどの距離のところに引っ越してきました。

(今になって思えば、このあたりから私の立場を見直しておくべきだったかもしれない。)

それからほどなくして、さらに距離を縮めて車で20分ほどの距離のところに家を建てることに決めました。

 

すでにお盆、お正月、新居のイベント(地鎮祭とか現場の見学とか)の度に義理の実家に食事をご馳走になり、お風呂と寝床を用意していただいています。

泊まりに来る頻度に対して待遇が良すぎるので恐縮しているけれど、改めるタイミングを掴めずにいます。

今回もみんなで出かけた先のイオンモールで、ランチとミスドをご馳走になってしまった。。。

でも子ども(彼らにとっての孫)に買ってくれたアンパンマンのぬいぐるみは、罪悪感なく有り難くいただきました。「じぃじ、ばぁばというのは孫が喜ぶものを買い与えてしまうものなのだ」と理解しているからです。

でも私は彼らにとっては孫ではないし居心地が悪く、スタバの代金は出しました。

なんなら手土産に、と、実は手作りでパウンドケーキも焼いてきました。

これは喜んでもらえたようで安心しました。

 

そうそう、で、私の立ち位置を「お客さん」からもっと身近な感じ、私が申し訳なさを感じない立場に変えたいのです。

 

家事を手伝うのは、相手も調子が狂うだろうな。私だったら家族以外の人とキッチンで料理するの疲れるし、洗濯物を触られるのも嫌ではないけど気になる。

となるとやはりお金で報いるのが無難かな。外食代を出すとか、帰り際にお金を包んで渡すとか。

 

家族にはなりきれないし、かと言って他人であるとも割り切れない(物理的な距離が近くなるしすでに何度も会ってるし)。

義理の実家との距離感掴みづらい。でもお金でいい感じにできるかもしれない。働いてて良かった。

 

考えながら書いてたらこんな結論になってしまった。タイトルも決めずにここまで買いてきたけど、今決まりました。

上野千鶴子さんの、"文春砲"への反論記事

初めて「婦人公論」を買いました。社会学者の上野千鶴子さんによる、"文春砲"への反論記事を読みたかったからです。

私は当時の文春砲の中身は読んでいないけれど、タイトルから察するに

ジェンダーフェミニズム研究の第一人者であり、日本の婚姻制度を批判しているくせに当の本人は結婚してるじゃないか」「言うてることとやっとる事ちゃうやんけ(関西弁)」という事でしょう。

 

今回の反論記事について、なんとなく「もう何年も前から実は結婚してました。しかし(反論へと続く)」みたいな内容なのかなと思っていたけれど、全然違いました。

上野さんとお相手の人生のとある局面において、結果的に日本の婚姻制度を逆手にとったことと、そしてその経緯について書かれていました。

 

婚姻制度を批判するだけでなく、それを逆手にとって利用してしまうなんて流石賢い方なんだなと思ったのと同時に、もう一つ印象的だったことがあります。

それは、文章全体を通して、お相手の方との具体的な関係については一切言及されていないことです。

自分の大切なプライバシーを売り渡す気持ちにもなれなかった。

(出典:婦人公論 2023年4月号 「文春砲」なるものへの反論)

そうですよね。メディアに出るからといって、全てを曝け出す必要なんてない。ましてや取材も断ってるのに暴露される必要もない。

それに、今回の彼女の記事を読んで、一連の経緯の本質は、お相手との関係がどうであったかではないなと感じました。

 

ここからは想像ですが、文春砲は彼女のアンチには餌を、ファンには裏切られた感を与えたかったんだと思います。

それが今回、ひっくり返ったんじゃないでしょうか。痛快だなぁーと思いました。

意図せず知り合うからこそ増す親近感

仕事の引き継ぎをしていますが、引き継ぐ相手が良い人すぎて「この人ともっと一緒に働きたかったな」と思ってしまいます。

 

  • 育休明けの社員さんで、私と歳が近いこと
  • 落ち着いた雰囲気・声で、会話していてストレスがないこと
  • 経験があるのに謙虚なこと

 

思えば今の職場は、幼児を育ててる方が少なかったなと思います。中学生とか、ある程度手のかからなくなった年齢のお子さんがいる方が多いです。

やっぱり属性が似てる人と、人は話がはずみがちですね。引き継ぎ中、雑談が楽しいです。

 

児童館や保育園には、自分と同じ属性(会社員、幼児育児中)の方は沢山いるのに、その方たちとはあまり雑談しないなぁ、と振り返って思います。

 

子どもを通じての関係だから、その親である私の話は必要ないなと感じるんですよね。

 

そう思うと、仕事を通じて意図せず知り合う、たまたま自分と同じ属性の方へのほうが親近感は格段に感じやすいです。

そして、意図せず知り合ったからこそ、より貴重な人間関係だなぁとも思うのです。

マニュアルづくりのコツを知りたい

派遣の事務をしているのですが3月いっぱいで契約が切れます。

今絶賛引き継ぎ中です。が、そのために作ったマニュアルが全然役に立ってなくてつらいです( ˘ω˘ )

反省と、今後のこういう機会のために覚え書き。

 

  1. 文字と、サンプルの画面キャプチャ小さすぎ
  2. 補足のための文字多すぎ

 

1について。手順をダラダラ書くのは、読む気失せるからやめよう思っていました。

「AをBする。このときAが〜だとエラーが起きるのでCをC'にしておく。」みたいなのです。

「・CをC'にする。 ・AをBにする。」みたいに、一文が短い方が読む気はまだ失せないと思っています。それに対応した画面キャプチャがあれば完璧だな、と思って作ったのですが、図が多すぎて結果的に見にくくなってしまいました。

 

2について。「こういう場合はね、〜してね」「もしこうなったら、〜してね」ていう補足がめちゃくちゃ多いのですよ。それをちまちま書いてたら、結果的に文字数の多いマニュアルになってしまった。

 

…本末転倒では???

 

実際引き継ぎしてる時も、「 【悲報】後任の方、ほとんどマニュアル読んでない。 」ですわ。

マニュアルとパソコンの画面とを見比べながら進めていく想定してたんだけど、うまくいかないですね。

 

文字と画面キャプチャのサイズを大きくするか、補足説明を文章でなく口頭でするか?

私だったら1を改善して、文字を大きくする方がまだ読む気になるかも。

 

後任の方に聞いてみよう。