ぽみのすけblog

うまく話せないから書きます。

6月5日(月)楽しく働けている

4月から新しい派遣先で働き始めて丸2ヶ月が経とうとしている。

今やっているのは、ざっくり言うと「データを集計・加工して資料をつくる」お仕事。

vbaを一から組める程度のスキルがあることが契約成立の決め手になったと私は思っていて(それは多分間違っていない)、

だからこそ「マクロをガリガリ修正するのかな」とドキドキしながら働き始めたのだけど、今のところそんな作業はほぼない。

むしろ1,000行×100列にExcel関数がもともと仕込まれているような(元データがあるシートから、必要列のデータを転記してくるための関数が大量に仕込まれている)、ファイルを開くだけで数十秒待つような、「これ作ったやつ出てこい」と言いたくなるような作業ファイルを使って手作業でチクチクと資料を作っている。

どうやら実務のレクチャーをしてくれるAさんが、その前任者から引き継いだファイルたちらしい。

AさんもOAスキルがある方なので、そのファイルや仕組みについて改善できることは山のようにあるはずなのだけど、今まで手をつけてこなかったらしい。

なんでやねん。と思っていたけれど、Aさんから連日22:00前後に業務メールが届いている現状を見て理解できた。単純に、改善するために使う時間と労力がなかったからだった。

 

「仕組みを作る」ことってすごく手間がかかる。

鬼のように重いファイルと複雑な作業工程をどうやって改善するか。その「『どうやって』を考えること」。

例えばマクロで自動化することにするとして、今どう処理がなされて結果どういう成果物ができるのか?「現状を知ること」。

いざコードを書くことになったとき、中断されないまとまった作業時間を確保すること。隙間時間にもできなくはないけど

  • どこまで作業していて
  • 次することは何か

を作業を再開するたびに思い出すことから始まるのでどう考えても効率が悪い。

 

そんなこんなで「効率悪ぃ…」と思いながらこのファイルで作業していたんだろうな。

で、私も作業しながら、ファイルでやらんとしていることの大枠を掴んできた。

 

「今の作業の仕組みを改善することが私に今一番求められていることなんだろうな」と理解したし、いいようにしてOKとも言われたのでガリガリとコードを書いている。

 

プログラマーをしていた頃を思い出す。あの頃は仕事がつらくてたまらなかったけど、コードを書いて想定通りにモノが動く瞬間は楽しくて大好きだった。

そんなこんなで3月までしていた仕事より楽しく働けている。今日もこれから出勤してコードを書く予定。

3月31日(金)私の溶けた有給

3/29〜3/31有給消化の予定で、ブログを書いたりイラストのポートフォリオサイトを整備したりする時間にあてるつもりだったけど、子供が熱を出したために自宅保育の時間にまるっと変わった。ピンポイントで日にちを被せてくるの、何なん?

ほんとは28日にも発熱していたのだけど、私が最終出勤日だったので夫に休んでもらった。

28日午前中には平熱になったけど、保育園の「解熱後24時間登園禁止」のルールがあるため29日もお休み。元気そうだったから午前中に公園に行ったり久しぶりに児童館に遊びに行ったのだけど、お昼寝から起きたら38.4℃あった。MAJIKA...

30日も自宅保育。前日の寝る前まで38℃台の熱が続いていたから坐薬を入れて寝かせた。それが効いたのか、朝はすっかりいつも通りの熱と調子だった。昨日の反省も踏まえて、この日は家の中で大人しく過ごした。

31日はようやく登園。夫が送ってくれたのだけど、別れ際ぐずぐずしたみたい。平日3日間も家にいたかんだから、そりゃそうか。

 

本来3日間の休みをかけてじっくり取り組もうと思っていたことを、集中して1日でやってやろうという気力もやる気もなかった。

まだ観れていなかったセブンルールを流しながら、保育園で使う食事用のハンカチや服に名前シールを黙々と縫い付けた。

セブンルールは好きな番組だったので終わってしまうのは残念。不定期の特集番組とかで、今後も見れると嬉しいな。生活や価値観の違う女性たちの生活を見れるのは「ハッ」とすることもあり興味深かった。

編集者の金城さんの回で「無責任な相槌は打たない」みたいなルールがあって、誠実な方だなと感じた。関係性やその場に波風を立てたくないから、調子を合わせる相槌を打ってしまうこと、あるある。金城さんの、仕事や作家さんに向き合う様子を見ていると、調子合わせの相槌は無責任な態度なんだなと思う。

 

…と、ぼんやりと頭は動かしつつ、手元はチクチクと縫い物。こういう思考3:作業7 みたいな時間が、仕事は片付くし考え事も進むし結構好き。

無事に名前付けも終わったので新学期に向けて準備完了だ。

有給は溶けたが、これはこれで良かったということにしておく。

《総括》映画「ロストケア」の感想と考察④既視感があると思ったら育児問題と似た構図だった

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長くなるので4つに分けます。今日はラスト。1、2、3はこちらです。

pominosuke.hatenablog.com

 

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※私は原作を読んでません

※ネタバレを含みます

※引用するセリフは私の記憶にあるものなので誤りがあるかもしれません。ご指摘くださると大変ありがたいです。

 

既視感があると思ったら育児問題と似た構図だった

生活が苦しい状況を某知恵袋に投稿したら「家庭内の問題だ。」「生活が困窮するのは自己責任だ。」というコメントが5個くらいつきそうだが、こういう構図は介護以外にもある。私が一番身近に感じるのは育児問題である。

  1. 家事育児仕事に忙殺され疲弊しきった(主に)母親に、「望んで産んだんでしょ」の一言でばっさり斬り捨てる風潮。
  2. 支援が届かない人がいる

1について。産むまでは、こんなにしんどいなんて聞いていないし想像できないのだ。例えば、自ら望んで入社してきた新入社員が「仕事が忙しくて食事もまともにとれないし夜も満足に眠れません」と訴えたら、「それもわかってて入社したんでしょ」と突き放すのだろうか。自己責任で片付けるにはあまりにも酷である。

2について。親子への支援については自治体がサイトなどで情報提供している(児童館のことや育児相談会など)。でもそれにつながれない人がいる。行政としても「困ってます」と手を挙げてもらわないと支援しようがないのだ。話はずれるが、個人的に、「自己責任だ」と責めるならば1ではなくこちらだと思う。先ほどの新入社員の例でいうと、「上司や産業医、それが無理なら家族に相談しなさいよ」である。ヘルプの出し方を知らないならば、それこそが自己責任だと思う。無知は罪だ。

 

現状として、育児にしろ介護にしろ、ケアを必要とする本人と、彼ら彼女らをケアする人たちに対して、世の中は冷たい。

 

総括

①〜④まで4つの考察をしてきて、【私が宗典の立場だったとしたら】を考えてみた。

  • 父親のことは罪悪感云々ではなく、単純に勇気がなくて殺せないと思う。(だけど実際、その立場に置かれたとしても同じ意見である自信はない)
  • 例え辛かったときの自分と同じ家庭が目の前にいたとしても、他人は殺さない。そうして欲しいかどうか不確かだから。

映画「ロストケア」の感想と考察③斯波宗典はなぜ行政とつながらなかったのか

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長くなるので4つに分けます。今日はその3。1、2はこちらです。

pominosuke.hatenablog.com

 

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※私は原作を読んでません

※ネタバレを含みます

※引用するセリフは私の記憶にあるものなので誤りがあるかもしれません。ご指摘くださると大変ありがたいです。

 

斯波宗典はなぜ行政とつながらなかったのか

父親の生前、親子2人だけのシーンしかなく、ヘルパーさんが訪問したり介護サービスを受けたりするような描写がない。彼らは介護保険は使わなかったのだろうか。

 

私は自分の子のお世話しか経験がないが、人のケアは体力と精神力を消耗する。誰にも頼らずこなすのはとても難しい。

ましてや高齢者の介護である。彼ら彼女らは体も大きく、こだわりもプライドもあるだろう。そして一般論として赤ちゃんのお世話と違い、ゴールが予測できない。今の状況が一生続くような気持ちにもなるだろうと想像できる。つらい。

 

先のリンクにもあるように介護保険は2000年4月からスタートした国の制度で、自治体から認定を受ければ、介護保険サービスを費用の1割負担で受けられる制度である。

 

……。

彼らはもしかして介護保険制度を知らなかったのではないだろうか。

宗典のいう"社会の穴"に落ちないように用意されていたロープもあったが、それを知らないがために掴み損ね、落ちてしまったのではないだろうか。

もしそうだとすると、無知というのは罪だと感じざるを得ない。

生活保護の申請で窓口に行った宗典を冷たくあしらった職員さん、機転を利かせてくれればよかったのに…と悔やまれる。)

3月28日(火)最終出勤日

その前にも何営業日か休んでいたこともあり、朝から慌しかった。

引き継いだ仕事の再確認で呼ばれたり、マニュアルを再調整したり。あと、月末にする作業を実際にやりながら引き継ぎしようと思っていたのに後任の方がお子さんの体調不良で急遽在宅勤務に。そのためビデオ通話で引き継ぎすることになりその説明資料を大急ぎでこしらえたりなどした。その方は何度も「ほんとすいません」と言っていて、私は「いえいえ」と軽い調子で答えていたが、内心こういうことを考慮してもっと早くに引き継いでおいた方が良かったなと反省した。幼児はよく体調を崩すし、タイミングが読めないから。

 

話は変わり、引き継ぎにあたりマニュアル作成で苦労したことは、【どのレベルの人向けに作るか】。私はVBAでマクロを組めるくらいにはExcelを触れる。そのため個人的に色々ツールを作っていたのだけど、チームにマクロに明るい人がおらず引き継ぎ資料を作るのに苦労した。前提知識のない人にも伝えるとなると、どうしてもキャプチャと補足の説明が多くなり本筋がわかりにくくなる。かと言って口での説明のみでは抜け漏れが起こる。いっそのことマクロで効率化した部分を旧来のやり方(手作業)に戻して引き継いだほうがチームにとってはやさしかったのかもしれない。

私の母親と同世代で、Excelのスキルは「入力程度」の方に引き継いだから余計にそう感じるのかもしれない。本人も言っていたが、多分年齢的にも新しいものを覚えることにとても時間がかかるのだろう。マニュアルの他にメモもされていたが、引き継ぎ以降も同じことを3回は説明した。聞かれること自体はいいんだけど「あのメモどこいったん?」と思う。

 

チーム全体で共有している管理表(Excel)があるのだけど、みんな好き勝手にセルを切り貼りしているものだから、数日見ないだけで条件付き書式が狂いに狂っていた。今まで定期的に黙ってメンテナンスしていたのだけど何もせずに閉じた。

なんか過保護にやりすぎたな、と唐突に思った。実際に手を動かしたり困った事態に遭遇しないと理解できないものだ。管理表だって「色が変わるはずなのに何故か変わらない」「なんか知らんがファイルが重くて開かない」みたいな困ったことになった時に初めて、管理表の扱いを改めることを意識するんだと思う。

そう思うと結局手厚いマニュアルも、自己満足に過ぎなかったかも…と虚しい気持ちになったりした。

 

そうこうしているうちに定時になり、慌ててチーム全員宛に御礼のメール(3行程度のあっさりすぎるもの。1年間も働いてないしこの程度が無難だろう。)を送り、デスクトップのフォルダ、ファイル、ショートカットを削除した。

デスクトップのを削除しただけなのに、「消しちゃいけないものまで消したかも」と何故か不安になった。

システム部門もあるというのに、この会社にはパソコンからユーザー情報を一括削除するような、フォーマットツールはないらしい。だから自分でパソコンの中身を綺麗にしないといけなかった。「ま、まじか…」。

他にもそう感じるエピソードはあったが、詳しく書くとまずい気がするので書けない。「性善説を地でいく会社」だと思った。良くも悪くも。

 

次の仕事に向け、少しお休み。

映画「ロストケア」の感想と考察②喉元過ぎれば熱さ忘れる。「安全な場所にいる人」になればそれまでの苦しみは忘れてしまうのか

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長くなるので4つに分けます。今日はその2。1はこちらです。

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※私は原作を読んでません

※ネタバレを含みます

※引用するセリフは私の記憶にあるものなので誤りがあるかもしれません。ご指摘くださると大変ありがたいです。

 

喉元過ぎれば熱さ忘れる。「安全な場所にいる人」になればそれまでの苦しみは忘れてしまうのか

映画観賞後、ずっと心に強く引っかかっていたのはこのことだった。

物語の後半、事件が明るみになり裁判が行われ、斯波宗典に判決が下される前後の時期である。被害者遺族の1人である羽村洋子は、とある男性とパートナーとして一緒になるという話をする場面。

「俺の方が年上だから。洋子さんに迷惑をかけることになるかもしれない。(自分の介護で)」とこぼす男性に対して、洋子は「迷惑かけたっていいんです。迷惑をかけない人間なんていないんです。」とやわらかい笑顔で答えた。

とても美しいシーンである。

でも、母親の葬儀でこれまでの苦労を労われ思わず流していた涙。検事の大友との会話で語った「(母が実は殺されていたという事実に)驚きました。でも私、斯波さんに救われたんです」という言葉。先ほどの美しいシーンでの彼女とイマイチ繋がらず、私はもやっと違和感をおぼえた。

斯波に救われたと感じるほど心身ともに擦り切れていたのに、「(介護で)迷惑をかけたっていいんです」とさらりと言えてしまうのか。

 

斯波の言うところの”社会の穴”から抜け上がり、”安全な場所”にいるからそういう発言を簡単に言えてしまうのかもしれない。

 

梅田美絵についてもそうである。

彼女は父親の死後、はじめのうちは状況を飲み込めていないというのもあるだろうが、「本当に斯波さん(が犯人)なんですか」「あんなに良い介護士さん他にいません」と言っている。それが後半、法廷の傍聴席から「人殺し!!」と怒鳴る。このシーンでも私は驚いた。育児・仕事・介護に忙殺されて疲れ果てていた彼女と怒鳴る彼女、両者がうまく繋がらなかったからである。

 

喉元過ぎれば熱さ忘れるという言葉がある。

渦中にいたときに感じていた苦しみは、そこを抜けると忘れてしまうということわざであるが、彼女たちを観ていてこの言葉が頭に浮かんだ。

 

傍聴席にいた被害者遺族と思われる方々についてもそうだ。被害者の死に対して、亡くなってから判決が出るまで「救われた」と思うことはなかったのだろうか。介護をしていた当時に感じていた苦しみを、まさに喉元を過ぎたから忘れてしまったという人もいると思う。

 

自戒も込めて書く。斯波の言葉は私たちに強く問題提起をしている。

いつだって「自己責任だ」と”社会の穴”に落ちた人々を責めるのは、自分は絶対に穴に落ちない”安全な場所”にいる人だ。責める人のなかには一定数、かつて”社会の穴”に落ちた人もいると思う。個人的には穴から抜け出た人たちの言葉の方が、経験から来る妙な説得力を孕んでいるので厄介だとも感じる。(小声)

 

何かを責めたくなった時、自分はどの立場から物申そうとしているかを、考えるようにしたい。そして強い方の立場からの意見だったときは、一度言葉を飲み込むようにしたい。

映画「ロストケア」の感想と考察① ロストケアを、誰もが求めているわけではなかった

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長くなるので4つに分けます。今日はその1。

※私は原作を読んでません

※ネタバレを含みます

※引用するセリフは私の記憶にあるものなので誤りがあるかもしれません。ご指摘くださると大変ありがたいです。

 

ロストケアを、誰もが求めているわけではなかった

脳梗塞で右半身が不自由になり、認知症も発症した斯波正作(斯波宗典の父)。体の自由が効かなくなり、自分が自分でない時間が増える。そんな状況への恐怖は私も想像できる。私も「自分が自分であるうちに死にたい」と、私も思う。だから、それを叶えた息子の宗典が「(父を)救った」という言葉を使うことも理解できる。実際、彼は父とそして彼自身を救ったからだ。

だけどそれを【救い】と捉えるか【殺し】と捉えるかは人による。

事実、宗典らの事情を汲まずに客観的に見ると、連続殺人である。

宗典の動機もよくわかるし感情移入していたから、そのことに気付くのに意外と時間がかかった。

介護していた母親を(宗典の手によって)亡くしたシングルマザーの羽村洋子は【救い】だったと語った。

一方、事件が発覚するきっかけとなった最後の被害者の、介護をしていた梅田美絵は【殺し】と捉える人だったのだろう。育ち盛りの子どもの子育て、自営の仕事、介護の日々を送る彼女を、周囲は「もう限界って顔してる」と言っていた。だからこそ宗典は手にかけたわけだが、法廷で傍聴席から「人殺し!!」「お父ちゃんを返せ!!」と叫ぶ。

それを聞く宗典の悲しそうな、つらそうな横顔が印象的だった。そういう感情だったとしたら、何に悲しく何が辛いのだろうか。自分がされて嬉しいことを他の人にもしたのに届かなかったことだろうか。自分の正義が理解されなかったことだろうか。美絵への罪悪感だろうか。

 

話は脇道に逸れるが、法廷の傍聴席で「人殺し!!」と叫ぶ瞬間まで、美絵のことを"【救い】と捉える人"だと思っていた。被害者の生前、あれほどつらそうで、被害者の死後、「本当に斯波さん(が犯人)なんですか?」「あんなに良い介護士さん他にいません」と現実に頭が追いつかない様子だった彼女である。

彼女に「やっと介護が終わった」「解放された」という感情がなく、傍聴席での言葉に繋がったのか疑問だ。

彼女だけではない。

傍聴席には被害者の遺影を抱いた遺族と思われる人たちの姿もあるが、彼ら彼女らは被害者の死に対して、亡くなってから判決が出るまで「救われた」と思わなかったことはなかったのだろうか。

これについては次回詳しく書きたい。(↓書きました。2023/3/27)

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話を戻して、まとめに入る。

宗典は自身の壮絶な介護の経験から、彼なりの正義感と使命感をもって行動に移していたわけだが、それを皆に当てはまる正義だと、歪んだ認識をもっていたと思われる。その正義感の暴走が事件に繋がっていたのではないかと感じた。