ぽみのすけblog

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映画「ロストケア」の感想と考察②喉元過ぎれば熱さ忘れる。「安全な場所にいる人」になればそれまでの苦しみは忘れてしまうのか

lost-care.com

 

長くなるので4つに分けます。今日はその2。1はこちらです。

pominosuke.hatenablog.com

 

※私は原作を読んでません

※ネタバレを含みます

※引用するセリフは私の記憶にあるものなので誤りがあるかもしれません。ご指摘くださると大変ありがたいです。

 

喉元過ぎれば熱さ忘れる。「安全な場所にいる人」になればそれまでの苦しみは忘れてしまうのか

映画観賞後、ずっと心に強く引っかかっていたのはこのことだった。

物語の後半、事件が明るみになり裁判が行われ、斯波宗典に判決が下される前後の時期である。被害者遺族の1人である羽村洋子は、とある男性とパートナーとして一緒になるという話をする場面。

「俺の方が年上だから。洋子さんに迷惑をかけることになるかもしれない。(自分の介護で)」とこぼす男性に対して、洋子は「迷惑かけたっていいんです。迷惑をかけない人間なんていないんです。」とやわらかい笑顔で答えた。

とても美しいシーンである。

でも、母親の葬儀でこれまでの苦労を労われ思わず流していた涙。検事の大友との会話で語った「(母が実は殺されていたという事実に)驚きました。でも私、斯波さんに救われたんです」という言葉。先ほどの美しいシーンでの彼女とイマイチ繋がらず、私はもやっと違和感をおぼえた。

斯波に救われたと感じるほど心身ともに擦り切れていたのに、「(介護で)迷惑をかけたっていいんです」とさらりと言えてしまうのか。

 

斯波の言うところの”社会の穴”から抜け上がり、”安全な場所”にいるからそういう発言を簡単に言えてしまうのかもしれない。

 

梅田美絵についてもそうである。

彼女は父親の死後、はじめのうちは状況を飲み込めていないというのもあるだろうが、「本当に斯波さん(が犯人)なんですか」「あんなに良い介護士さん他にいません」と言っている。それが後半、法廷の傍聴席から「人殺し!!」と怒鳴る。このシーンでも私は驚いた。育児・仕事・介護に忙殺されて疲れ果てていた彼女と怒鳴る彼女、両者がうまく繋がらなかったからである。

 

喉元過ぎれば熱さ忘れるという言葉がある。

渦中にいたときに感じていた苦しみは、そこを抜けると忘れてしまうということわざであるが、彼女たちを観ていてこの言葉が頭に浮かんだ。

 

傍聴席にいた被害者遺族と思われる方々についてもそうだ。被害者の死に対して、亡くなってから判決が出るまで「救われた」と思うことはなかったのだろうか。介護をしていた当時に感じていた苦しみを、まさに喉元を過ぎたから忘れてしまったという人もいると思う。

 

自戒も込めて書く。斯波の言葉は私たちに強く問題提起をしている。

いつだって「自己責任だ」と”社会の穴”に落ちた人々を責めるのは、自分は絶対に穴に落ちない”安全な場所”にいる人だ。責める人のなかには一定数、かつて”社会の穴”に落ちた人もいると思う。個人的には穴から抜け出た人たちの言葉の方が、経験から来る妙な説得力を孕んでいるので厄介だとも感じる。(小声)

 

何かを責めたくなった時、自分はどの立場から物申そうとしているかを、考えるようにしたい。そして強い方の立場からの意見だったときは、一度言葉を飲み込むようにしたい。