長くなるので4つに分けます。今日はその1。
※私は原作を読んでません
※ネタバレを含みます
※引用するセリフは私の記憶にあるものなので誤りがあるかもしれません。ご指摘くださると大変ありがたいです。
ロストケアを、誰もが求めているわけではなかった
脳梗塞で右半身が不自由になり、認知症も発症した斯波正作(斯波宗典の父)。体の自由が効かなくなり、自分が自分でない時間が増える。そんな状況への恐怖は私も想像できる。私も「自分が自分であるうちに死にたい」と、私も思う。だから、それを叶えた息子の宗典が「(父を)救った」という言葉を使うことも理解できる。実際、彼は父とそして彼自身を救ったからだ。
だけどそれを【救い】と捉えるか【殺し】と捉えるかは人による。
事実、宗典らの事情を汲まずに客観的に見ると、連続殺人である。
宗典の動機もよくわかるし感情移入していたから、そのことに気付くのに意外と時間がかかった。
介護していた母親を(宗典の手によって)亡くしたシングルマザーの羽村洋子は【救い】だったと語った。
一方、事件が発覚するきっかけとなった最後の被害者の、介護をしていた梅田美絵は【殺し】と捉える人だったのだろう。育ち盛りの子どもの子育て、自営の仕事、介護の日々を送る彼女を、周囲は「もう限界って顔してる」と言っていた。だからこそ宗典は手にかけたわけだが、法廷で傍聴席から「人殺し!!」「お父ちゃんを返せ!!」と叫ぶ。
それを聞く宗典の悲しそうな、つらそうな横顔が印象的だった。そういう感情だったとしたら、何に悲しく何が辛いのだろうか。自分がされて嬉しいことを他の人にもしたのに届かなかったことだろうか。自分の正義が理解されなかったことだろうか。美絵への罪悪感だろうか。
話は脇道に逸れるが、法廷の傍聴席で「人殺し!!」と叫ぶ瞬間まで、美絵のことを"【救い】と捉える人"だと思っていた。被害者の生前、あれほどつらそうで、被害者の死後、「本当に斯波さん(が犯人)なんですか?」「あんなに良い介護士さん他にいません」と現実に頭が追いつかない様子だった彼女である。
彼女に「やっと介護が終わった」「解放された」という感情がなく、傍聴席での言葉に繋がったのか疑問だ。
彼女だけではない。
傍聴席には被害者の遺影を抱いた遺族と思われる人たちの姿もあるが、彼ら彼女らは被害者の死に対して、亡くなってから判決が出るまで「救われた」と思わなかったことはなかったのだろうか。
これについては次回詳しく書きたい。(↓書きました。2023/3/27)
話を戻して、まとめに入る。
宗典は自身の壮絶な介護の経験から、彼なりの正義感と使命感をもって行動に移していたわけだが、それを皆に当てはまる正義だと、歪んだ認識をもっていたと思われる。その正義感の暴走が事件に繋がっていたのではないかと感じた。